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  会寧歩兵第75聨隊『在営記念写真帳』
                   写真102枚

NO1 表紙 大きさ巾 22,5cm・長さ29cm・厚み約2,5cm。写真全枚数、焼付写真98枚・
    写真絵葉書4枚。合計102枚。写真は全数掲載して有ります。写真帳状態=表紙に虫食
    い有り(写真参照)。内部 虫食い・切れ・汚れなど無し。 写真説明書文は所有者 五十嵐
    久雄氏の書き込みを片仮名を平仮名に変えております。 文中の現代にそぐわない文言が
    有りましたら御免下さい。
NO2 現 第38旅団長 陸軍少将 伊丹政吉閣下、現 歩兵第七十五聨隊長 
   歩兵大左 齊藤春三殿。
NO3 秋葉謙重 山形市附近 其の一 (1)秋期演習第一日停車場に居りたる時、新補の町
    海岸通前進する我が部隊、其の二 軍出原に向かう途中。(2)演習第一日の白軍の先
    兵の難行、其の三 (3)敵と相対し猛烈に射撃。 其の四 (4) 敵と相対して戦闘撃烈にして、
    突撃 最後の切那、演習第三日目 朝歩兵76連隊と対抗 感興西北三里位の地点にて。
NO4 其の五 長野県人同班 中村角太郎。 其の六 (六)枝隊対抗の演習後の軍旗と聨隊長
    の姿、聨隊旗手 歩兵少尉水野少尉。 其の七 (七) カンカン峠を越える我が部隊の難
    行軍上より五里下り三里。 其の八 (八)激しい近道を疲労も屈せず、激しい近道を上る、
    我が軍演習第三日、感興に向かう途中。  
NO5 其の九 、十(九) クタビレタ身体を演習後のひと休み、枝隊対抗後感興西北本郷附近に
    て兵のひと眠。 其の十一 (十一) 枝隊対抗に於ける我が歩兵砲大隊の猛射撃 九一式
    歩兵第大砲は大隊に数門配属されるものなり、機関銃及戦車の射撃に用いるものなり。
    其の十二 (十二) 演習後の朝食の状況枝隊対抗の二日目 五老里松山高地野盆地。
NO6 其の十三 (十三)感興市街本町通を前進す我が七十五部隊。(十四)興府市街に入る軍隊
    の終結地、混雑の状況。 其の(十五)枝隊対抗が終り愈々旅団対抗の第一日、感興から
    定平の向かう途中万歳橋通かの切那。 (十六) 旅団対抗第一日目 紅白四機の参加、
    飛行機の低空飛行偵察中。
NO7 其の十七 (感興より五老里に向かう途中興安南軽便鉄道の右側を進行する我が七五部隊
    、左側は万歳河なり。其の十八 (十八)旅団第二日目 二日渡る依、我が白軍の死守せし
    松山なり、我等も二晩夜営せり、相当苦労せし所なり。 其の十九 (十九)愈々秋期演習も
    旅団対抗も一日一日と白熱化し遥か遠しから双眼鏡を手に戦銭を見る師団長及統閲部
    連中 中央師団長。其の二十 (二十) 秋期も終りを告げ諸兵集合地感興歩兵第七十四聨
    隊兵場にて師団長。
NO8  上図昭和十年一月下旬 七十五聨隊第一大隊は極寒を犯して耐寒行軍を実施した追撃戦
     後森林を雪深き難路を上り行く部隊。 下図 演習終え後鮮人家屋前で舌鼓をうつ大隊
     本部 寒さは当時零下二十二度位であった。 右側 下図 一寸演習の余暇炊事より間
     食分配をしている所なり、空腹に間食の甘酒及練羊羹と来ては実に疲労も何ぞと吹飛と
     ばして昼食但し鮮人の水は異様な臭いがして甚だ不潔成なり。 上図 中島より山城方面
    に向かう途中旅じ行軍中の昼食時の一休み右側三人立って居るのが中右側は第一大隊
    長 右に座って飯を食べてる居るのが中隊長。
NO9 上図 中島方面より馬石嶺峠を越える途中一休み先日来の雪道の難行軍の為に諸兵の
    苦労は甚しく馬台嶺の雪は腰まで有ったのを元気よく通過することが出来た、耐寒行軍
    第二日目十一時。 下図 耐寒行軍中の第一大隊本部 右より北原中尉・南中尉・塩田大
    尉・村越憲兵伍長・第一大隊長山口少佐殿・大隊付軍医・横内三等軍医・本部付下士官
    二名、山城山厩舎の西北地点にて。右側 下図 耐寒行軍中第二日目水上を警戒しながら
    前進する前哨部隊時あだかも零下二十数度 酷寒を犯しての行軍、冬期各川は全く氷結
   して表面はキラキラして実に危険である。 上図 中島より馬台嶺を越えて山城山に向かう
   途中後方より写す、はるか向こうはかすかに見える方向は山城山方面なり、耐寒行軍第二日
   目 午後四時頃、一月三十日。
NO10 上図 耐寒中 夕食飯盒炊事当夜天幕露営前 哨勤務を張って警戒す図は飯盒炊事の
     状況なり、右図は先の第一大隊本部の写真と同じなり。 右側 上図 鮮人墓地の多数
     有る所なり、過去 日露戦役時代露軍の砲兵陣地が有った所なり、此の所に我等耐寒
     行軍第三日目 追撃戦終え後大隊長殿講評の所なり 所々小さい森は墓地なり。
     下図 国境は婦女でさい此の通り射撃訓練中なり。
NO11 右図 はるか上空より通信を連絡する軍用伝書鳩。 右図 射撃場におけるかんてきごう
      の内部。右側 上図 冬期間高粱畑にふせて演習中の七五の軍隊、極寒の雪上に甚
     すきを忍び足もこうる零下二〇度の中に奮戦するつわもの一月頃の小隊教錬なり。
     下図 支那正規兵 この服装注意して下さい、両前の肩にかけるている弾薬なり、所持し
     ているのが支那特有の長銃だそうです、然し今はあなどりがたい勢力が有るそうです。
NO12 上図 墓山高地より会寧市街及停車場附近を望む広い平地は停車場より四丁位鉄道
     経営グランドなり 右側 鉄道官舎。 下図 三月十日陸軍記念日際し市街戦を行った時
     鉄道グランドに於いて連隊長殿に閲兵分列を挙行した時 会寧普通学校生徒の分列式な
     り。右側 上図 朝鮮総督府専売特許の煙草の表紙なり、一個五銭か十銭位なり、 右図
     天覧台に立てる若い朝鮮人娘さん達、はるか向こうに見えるは75の営庭なり。
NO13 上図 朝鮮の若者達の結婚式なり前に並べて居る御馳走は実に面白いではありませんか、
     右図 は結婚式が終り婚家に行く途中かごに乗せるは花嫁なり実に面白いではありませ
     んか。右側 上図 会寧の最も繁華な大通で人通も一番多い大正通。右図 鮮人家庭の
     製粉器材異様なこんな道具とは実に面白しるくもあり又實際鮮人の記風は表現されて居る
     わかだ。
NO14 上図 羊の放牧の民を続けて のんきさうに生活して居る鮮人もある、羊群は広い練兵場
     を左右前後に自己の食餌を求めてのんきそうに此の春の陽気にまかせ遊んで居る、鮮人
    もある羊のむれは不潔で異様な臭いがして不快なり。
NO15 上図 向こう岸對岸より藉を運搬して居る鮮人達 豆満江上にて藉を実家に牛車に積む
     運搬して行く所なり。鮮人の風俗及牛車に積んだ此の仕事は一寸考え無量であらう。
     右側 (絵葉書)上面 咸興府全景 (其の一)道庁及旅団の所在地 戸数八千人口四萬
     古来三大都市の一.下図 プラットホーム、咸興駅。
NO16  右図は飛行機上より見たら咸興歩兵第七十四聨隊兵営の全景なり。右側 (絵葉書)
      歩兵第三十七師団司令、歩兵第七十4連隊営門。銃剣術。
NO17 上図 真夏中の7月頃の歩兵七十五連隊の聨隊本部全景。右図 会寧を去る十町豆満江
     河岸を進行する列車、右側に急に高くなって居る山は竜仙徳山である、此の豆満江も冬
     期間は一尺余の氷が張ってキラキラだ。右側 北満を望む、美人鮮人娘。
NO18 上図 北朝鮮の港全景(二枚繋ぎ写真9.下図 水汲み風景。営舎全景。
NO19 営舎全景。白軍演習前の作戦指示。
NO20 工兵隊の仮橋作業中。七十五聨隊軍旗拝閲。軍隊・軍旗の列車移動。
NO21 蒸気機関車と列車に乗る郡田宇移動光景。騎兵隊と進軍光景。右側 重機関銃隊の
     射撃光景。下 屋根上に陣取る重機関銃の射撃。
NO22 上図 騎兵隊の渡河作戦。下図 射撃応戦中。右側 赤十字救護自動車で運ばれる兵士。
     下図 敵拠点制圧。
NO23 市街を行進する凱旋軍。下図 砲隊鏡で砲撃着地、戦果確認中。右側 上図 市街を行進
     の皇軍。北部守備隊の前で不審者の検問中。
NO24 上図 歩兵砲の射撃中。飛行場光景。右側 捕獲品の兵器。下図 飛行機。
NO25 上図 何かを袋詰めの作業中。下図 参頭立ての馬車。右側 師団司令本部?。
     会寧 凱旋橋。




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